人間は不思議なもので、死ぬことをとても恐れているくせに、何かのきっかけで、ふと死にたいと思ったりします。
腰痛に苦しんだ経験をした人は、死にたいと思った瞬間があるかもしれません。実際に、他人の腰痛の体験談を読むと、けっこうな確率で、そのように思った人たちがいます。
私も腰痛の時に、様々なことを考えました。でも、最終的に心に湧き上がってきたのは、「感謝の気持ち」でした。これは自分でも意外でした。
腰痛の苦しみも、長い人生の中では、ちゃんと意味を持っているのだと考えるに至ったのです。
今、腰痛に苦しんでいる人は、ぜひお読みください。少しでも気持ちが楽になれば幸いです。
私の腰痛体験
20年も、30年も、腰痛に苦しんでいる人たちがいます。その人たちから見れば、私の腰痛は2年足らずで解消されたので、私自身が腰痛の深刻な悩みを十分に理解しているとは思いません。
ただ、私も1か月以上も寝たきりの状態を経験しているので、初めて知った腰痛の苦しみには相当なものがありました。
まず、仕事ができない。一日中、寝ているだけなのに腰が痛い。テレビを見ようにも、リモコンに手を伸ばすのが辛い。ようやくテレビをつけても、寝ている姿勢が辛い。そのうち、テレビを見る気も起こらなくなる。
できることと言ったら、タブレットの端末を枕元に置いて、たまにYouTubeを見ることくらいでした。すっかり食欲も落ちてしまい、一日の中で、食べる楽しみさえも失いました。
椎間板ヘルニア
私の病状は椎間板ヘルニアでした。いわゆる、ぎっくり腰です。西洋では腰痛を「魔女の一撃」と言いますが、そんな表現では、まだ甘いと思うくらいの酷い痛みに苦しんだのです。
妻は健康なので、自由に外出ができます。一人、部屋に置いて行かれる気持ちは、寂しいというよりも、情けない気持ちでいっぱいでした。
今の自分は役立たずの存在になっていると思うと、気分が落ち込んでくるのです。数日もすれば痛みが引くと思っていたのに、二週間が経ち、三週間が経ち、いつ治るのかも分かりません。
私は無理をしてしまい、本当に動けなくなるまで腰痛を放置してしまったので、その分、重い症状が長引いてしまったのです。
「このまま働けなくなり、何年も寝たきりの状態になってしまったら…」と、さすがに焦燥し始めました。腰痛は酷くなると、手術をしても治らないと聞きます。
私がそうならった妻も困り果てるでしょうが、何より私自身が耐えられません。精神的に追い込まれて苦しくなります。それならば、いっそ死んだほうがマシだと、本気で思ったものです。
逃れられない生老病死
仏教では、逃れられない人生の苦しみとして、「生老病死」をあげています。
人生には、「生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと」の四つの苦しみがあるのです。
何もできない赤子の身として、この厳しい世の中に生まれ落ちること自体、そもそもの苦しみの始まりなのです。だから赤ん坊は、生まれた瞬間、「おぎゃー!」と恐れおののいて泣き叫ぶわけです。
私自身も、「このままなら、いっそ死んだほうがマシだ」と思ったことがあるのですが、寝床の中で、この「生老病死」について考えてみたわけです。
病気の苦しみは、たとえ王様であっても逃れられないのだと、お釈迦様は言っている。若くて、健康で、どれほど頑強な人間であっても、病に伏せる時期は訪れるのです。
腰痛でなくとも、人は必ず病気をします。死を宣告されるに等しい癌になる人も大勢います。
そうした中で、「腰痛になるくらいだったら、他の病気のほうがよかった!」とはならないと思います。
もしも医者から、「診断を間違えた。あなたの病気は癌だった」と言われたら、気持ちが楽になりますか? なりませんよね?
一人苦しみの中にどっぷりと浸かっているように感じても、特別に自分だけが、もがき苦しんでいるわけではありません。
自分を苦しめている腰痛も、「生老病死」の逃れられない苦しみの中の一つに過ぎないのです。
私は、まずはそのことに思いを馳せてみたわけです。
腰痛にも、ちゃんと意味がある
仏教には「因果応報」という考え方もあります。良いことをすれば、必ず良い結果が生まれ、悪いことをすれば、必ず悪い結果が生まれるという教えです。
すべての物事には原因があって、その原因に応じた結果が生まれているわけです。そのように考えると、世の中には、偶然に起きることなど何一つないと言えるのです。
もちろん、私が腰痛になったことにも原因があるわけです。その原因も一つではないでしょう。幾つにも連なっており、辿ろうと思えば、どこまでも辿っていけるものです。
その原因をどこまで辿っていけるか? どこまで正確に把握できるか? そこに、どのような意味を見出せるのか?
そのように考えていくことが、大事なのではないかと考えました。
なぜならば、生老病死という、誰も逃れられない苦しみが存在しているのには、必ず理由があるはずだからです。苦しみにも、大いなる意味があるのですね。
その意味を探っていくことが、今回の腰痛の課題なのではないかと思ったわけです。
失って初めて分かること
椎間板ヘルニアの原因は、「腰椎の椎間板が損傷し、飛び出した随核が神経を圧迫している」ということです。医学的に考えれば、これが一つの答えになります。
しかし、「人生の意味としての腰痛」を考えていくと、もっと様々な答えが得られます。
例えば、腰痛はあなたの悪習慣を改めさせるために、体が出しているSOSなのかもしれません。悪い姿勢を治さないと、もっと悪い病気を発症させてしまうため、その前に腰痛になっているのだとも考えられます。
あるいは、健康を当たり前だと思って生きてきたあなたに、腰痛を通じて、健康の大切さを教えているのかもしれません。不自由なく立って歩けるということ自体で、本当はありがたいことなのです。
「腰の痛みを感じずに歩けたら、どれだけ素晴らしいだろう!」と思いますよね? 明日からバラ色の人生が始まる気がしてきます。
人間は失って初めて大切なことに気付きます。愚かな人間であっても、失えばそのありがたみを、嫌と言うほど思い知るのです。
両親への感謝の気持ち
私は腰痛に苦しんでいた時期に、実家で暮らしている両親のことを、よく思い返していました。
たとえ私が寝たきり状態の人間になっても、嫌な顔も見せずに最後まで付き添ってくれる人間がいるとしたら、それは私を育ててくれた両親しかいないと思ったからです。
その母も老いて、今では腰が曲がっていますが、その腰を曲げてしまった責任は、私にもあるかもしれないと思いました。
若い頃の私は、生意気ばかりを言い、親の心配をよそに身勝手な行動をしていたので、ずいぶんと心労させてしまったと思うのです。
また、多くを語ることのない父ですが、その昔、「腰が痛いから庭仕事を手伝ってくれ」と頼まれたことがあります。
しかし、私は面倒臭がり、腰の痛さなんて我慢できるだろうと思い、けっきょく手伝いませんでした。今思うと、私自身が腰痛を経験したこともあり、ずいぶんと薄情なことをしたものだと思います。
私は両親を思い出すと、涙が流れました。思えば、私はいい歳になっても、親孝行らしいことは何一つしていないのに、それでも心から頼れる存在は、今も両親しかいないのです。
そう思い至ると、今さらながら、両親への感謝の気持ちが、ふつふつと沸き上がってきたのです。
もしも腰痛にならなかったならば、このような気持ちにはならなかったと思います。
腰痛は心のケアも大切
腰痛になると、気が滅入る毎日が続くと思います。なかなか前向きに考えられないかもしれません。
しかし、この腰痛にも意味があるのだと考えてみてください。私の場合、両親への感謝の気持ちが沸き上がってきてから、腰痛が改善に向かったように思います。
気のせいと言われたらそれまでですが、「身心一如」と言います。これも仏教の言葉ですが、心と体は一体なのです。
心が感謝の気持ちで満たされたならば、その影響は体にも及びます。
実際に、感謝の気持ちを持つと、若返りホルモンと言われる「DHEA」が増加するそうです。また、「IgA抗体」と呼ばれる病原菌から体を守る抗体も増加し、体の免疫機能が高まります。
感情は脳と心拍リズムに同期していて、心拍リズムも安定します。これが体に良い影響をもたらすことは言うまでもありません。
腰痛になったら、腰の治療だけでなく、心のケアも大切なのです。
病は人生のムダではない
私のように寝たきりの状態になってしまった場合には、幸いなことに時間はたっぷりとあります。
これは、忙しかった時には考えもしなかったことを、じっくりと振り返ってみるチャンスでもあるのです。
苦しい腰痛にも、そうした人生の意味を持たせることができるのではないでしょうか?
病に伏せている時期は、何もできずに辛いでしょう。でも、その時間を、どうか人生のムダとは考えずに、今まで生かされてきた感謝の気持ちに切り換えて過ごしてみてください。
人生の本当のムダとは、何もしないことではないのです。マイナスのことばかりを考えてしまうことが、人生のムダなのです。
私もそうでしたが、「あの時期、腰痛に苦しんだけれども、今思えば意味のあることだったのだな」と考えられる日が、あなたにも必ずやってくることを願っています。
どうか諦めずに、腰痛を改善していきましょう!